今海外では静かな日本酒ブームが起きているらしい。 日本食がブームになっているのでその一環として日本酒も好まれて飲むようになったのだろうが、日本酒好きの私にとっては世界に新しい仲間が出来るようで嬉しい限りだ。
私が最初に日本酒らしきものを口にしたのは、記憶の中では小学校に入学する前だった。 確か我が家で開拓組合の寄り合いがあり、誰かが悪戯してお茶椀に入った濁り酒(どぶろく)を牛乳だと偽って私に差し出したのを、別の人が引きとめる間もなく、あっという間に飲んでしまった時だ。 茶碗に半分程度の量を一気飲みしてしまったのだが、一寸酸っぱかったのだけは記憶に残っている。 大人たちはおおいに心配したらしいが、当の本人はそれからまもなく天にも上るようなこんころもちになり、ご機嫌で大人の周りをぐるぐるうろつきまわってから寝てしまったらしい。
戦後間もないその頃、農家の人達は店で買った酒を飲む人は少なく、殆どの人は自家製のどぶろくで間に合わせていた。 各農家は自作の米を利用してどぶろく醸造できる技術を持ち合わせていた。 つまり密造だ。 密造は厳しく取り締まわれていた。 或る日突然捜査官が抜き打ち調査に現れる。 日中に行われる捜査は容赦無かったが我々子供たちにとってはエキサイティングなイベントを見ている気分だった。 
捜査官が訪れた家では、造っていないと主張し通すが、そこはプロ、最終的には隠し場所を見つけられてしまい、厳しい罰が与えられる。 検査官が最初の家に踏み込んでいる間、その村の子供たちは伝令役として他の農家に「酒検査が来たぞ〜」と知らせに走り回る。 まさしくマンガの世界だ。 知らせを聞いた他の家では、覚悟を決めて捜査官を迎えるが、各農家はあちこちに分散して隠していたようで、全量没収は免れていたようだ。 没収されたどぶろくはその後どう処分されたか知らない。 
その頃のどぶろくは質が悪かったので飲みすぎると二日酔いがひどく、頭痛や吐き気がひどく、それが治まっても2〜3日は体調が悪い。 酒とは名ばかりのどぶろくは、時代が変わり所得が少しずつ増し美味しい清酒が手に入るようになるにつれ、徐々に農家の食卓から消えていった。
私も若き頃は「酒豪」などともてはやされて安酒を暴飲した為に体を壊してしまった時期があったが、五十を過ぎてからは徹底して量より質を求める様になった。 そして、お燗をした酒を飲まず、専ら十度程度に冷やして飲む様になった。 良質の酒は冷やして飲むに限る。 勿論、外で飲むときも冷酒のみ飲むことにしているので、二日酔いも悪酔いもしない。
最近は日本酒をたしなむ女性が増えてきているとも聞く。 その為に、若い女性をターゲットにした日本酒があちこちで開発され始めている。 昨年、若い女性向けに開発された日本酒を試す機会があったが、それは驚くほど香り豊かで口当たりがよく清涼感漂う、今までの日本酒とはまるで次元の違うものだった。 辛口オンリーの私には無理だが、これは間違いなく若い女性に支持されるだろうと思ったものだ。
その酒造店がどうしてこのような酒を造ることが出来たのか。 それは、淡麗辛口で爽やかな芳香が口の中にまろやかに広がる、私がぞっこん惚れ込んでいる酒を造っている酒蔵だからだ。
純米大吟醸 参年熟成 第八代 九郎左衛門」こそ酒の中の酒だ。 今私の冷蔵庫で冷えている。 この酒造店は如何なる事情があろうと小売(直販)は一切せず、酒蔵にも関係者以外は近寄らせず、明治3年の創業以来ただひたすら美味しい酒造りに精魂込めていると言う。
聞くところによると、仕込に入っている酒蔵に近づく関係者はその日の一週間前から、納豆、チーズ、バター等、こうじ菌より強い菌類を食べる事を禁じられているそうだ。 こうじ菌は極めてデリケートで弱いため、うっかり他の強い菌が入り込んできたらすぐにやられてしまうからだそうだ。
この酒造店は山形県の米沢にあり、どうやらアメリカの高級日本料理店向けに輸出もし始めるらしい。