イスラエル軍のガザ攻撃が続いている。 連日の報道からはイスラエルハマスもかなり感情的になっている状況が窺われるが、本当に悲しい事態だ。
私が仕事で初めてイスラエルを訪れたのは1981年の7月末、今から28年前の事だった。 勿論、中東戦争継続中で町にもあちこちに武装した兵士がたむろしていた。
空港に迎えに来てくれたラムダ氏は後にイスラエルで押しも押されぬダイヤモンドの輸出No.1企業にのし上がったシャクタ・ラムダ社の社長であるが、其の時はまだ会社を立ち上げたばかりで全く無名だった。
私を空港からテルアビブのヒルトンまで車で送ってくれた道すがら彼が語ってくれた話は未だに脳裏から離れない。 
助手席に乗った私はシートベルトをするよう指示を受けたが、其の頃の日本ではドライバーさえもシートベルト着用が義務づけられていなかったので一寸戸惑ってしまった。 イスラエルでは助手席もシートベルト着用が義務付けられているという。 
イスラエルは戦争で多くの貴重な命を失っています。 ですから交通事故などでその貴重な命を更に失わせたくないというのが国の考えです。」
イスラエルの人口は少ない。 ここ数年世界各地から集まってきている今でこそ500万人を超えたであろうが、其の当時は400万人を下回っていた筈である。 一人でも交通事故で犠牲になるのを避けたいという国の心情がひしひしと伝わって来た。
それから湾岸戦争が勃発するまで幾度となく訪れたが、或る日、レストランで昼の食事をしていると突然人々が一斉に立ち上がって一人の若者を迎えた。 若者は戦争で重傷を負った兵士で、両親に付き添われ車椅子に乗って食事に現れたのだった。 笑みを湛えていても体が不自由で痛ましい姿だったが、それだけに市民は彼に深い敬意を表して迎えたのだった。 自分たちの為に戦ってくれたヒーローとして。
最近のTVや新聞報道は激しいガザ攻撃を繰り返すイスラエルを厳しく非難しているが、私の心境は複雑だ。 第二次世界大戦終結して1948年に現在の地にイスラエルを建国するまでの経緯(中近東の地図を広げてその上に線を引いて国境と国を決めたのは戦勝国の首脳だ。地図を広げて中近東諸国の不自然な国境線を見れば、そこに住む人々の暮らしなど全く無視した大国のお仕着せと誰しもが思うだろう。 そんな真っ只中にイスラエル国家があるのだ。)、そしてその後の第3次にわたる中東戦争パレスチナ人との戦いを顧みると、建国以来、イスラエル人は、いつ何処から誰から攻撃されるかわからない緊張状態の中で常に生きてきていることになる。
そんな内情の一部分を垣間見るエッセイを1989年11月1日の日本貴金属時計新聞に「カーメル公園焼失」というタイトルで載せているので参考までに再度以下に記したい。

「 九月二十日、フランクフルト行きの午後のフライトで帰国の途に着こうとしていた朝、テルアビブ・ヒルトンの一室で、配達されたエルサレムポストの一面トップ記事を見て目を疑った。 カーメル・ナショナルパークが前夜半に10キロ平方メートルにわたって焼失してしまったという。 
昨夜半といえば、私は取引先の人々と、ナターニャの海辺のフィッシャーマンズレストランで美味しいワインを飲みながらフライを中心とした当世イスラエル風魚料理を囲んで、今回の出張の最後の夜を楽しんでいた頃である。 
午後のホテルのロビーで、見送りに来た元役人のガル老人は私を見るなり問いかけてきた。
“ミスターオノ、ユーはスイスに行ったことがありますか”
“ええ、ありますよ”
“で、スイスは好きですか”
“勿論ですとも。あの美しい大自然を嫌いな人などいないんじゃないですか”
“それなら、お話しましょう”
そういうと、老人はフーッと大きなため息をしてから、いかにもつらそうな低い声でしかも静かに話し出した。
“ミスターオノ、こんな砂漠だらけのイスラエルにもリトルスイスと呼ばれる、とても美しい所があるんです。 カーメル国立公園という所がそうです。 イスラエルが建国したときから四十年かけて、我々イスラエル人が種々の悪条件を克服し、やっと育て上げた木々が緑鮮やかに生い繁る自慢すべき公園なんです。 その公園が昨夜十キロ平方メートルも燃えてしまったんです・・・・・・・・・・”
老人はここで声をつまらせ口をつぐみ、何度も唾を飲み込む仕草をしていたが、少し落ち着きを取り戻すと今度は急に私をキッと見つめ、
“昨日の昼は異常に暑かったですね。だから砂漠の熱が夕方になって強烈な風を起こすこと位、土地の者なら誰でも知ってます。火はほとんど同時に六ヶ所から出たらしいんです。タバコ等の火の不始末が原因なら火は一ヶ所からしか出ない筈です。六ヶ所から出るなんて不自然すぎます”
そこ迄言うと、何とも言い難い、悲しそうな目を横に向け、“これでまた四十年経なければ元に戻らないだろう。悲しいことです”とつぶやいて再び喉を動かした。
ハイティーンのアラブ人のユダヤ人に対する嫌がらせは未だに続いている。 だから、この事件も関連があると思っているようだが、彼の口からは、アラブのアの字も出なかった。
対立に必ず付いて回るのが破戒行為であるのは世の常であるが、美しい自然を破戒するこのような暴挙は、人間に対してではなく、地球そのものに対するテロと言わねばなるまい。
新聞で読んで知っていたとは言え、ガル老人の余りにも落胆した話し振りを聞いて、改めて失なったものの貴重さを認識させられたが、どう慰めて良いのか分らず、ただ頷くしかなかった。
イスラエル人の、「緑」に対する異常な迄の愛着は、荒涼たる砂漠を次々と緑地化している事からも伺い知れる。 緑や水に恵まれすぎた環境の中で生活している人々には、仲々実感として伝わって来ないだろうが、ユダの荒野に一度でも足を踏み入れたら、瞬時にそれが解ろう。
破戒は一瞬にして行われ、再生は何年何十年の時間を要する。
一時の感情から発生した破戒行為が、後にどれだけ多くの労を必要とするかを考えると、人間って何て馬鹿なことを繰り返しているんだと、情けない思いになる。
アラブのハイティーンとユダヤのガル老人。 悲しいけれど、このコントラストは、人間社会の中で永久に続くのかも知れない。 」

そして今、イスラエルがガザに対して激しい破戒行為を繰り返しており、戦闘派集団ハマスは徹底抗戦の構えを崩していない。