今日から新年度。 学校でも会社でも官公庁でも新たな年輪が刻まれる初日だ。 装いだけでなく心身共にリフレッシュして新たな第一歩を踏み出したことだろう。
千葉県知事選挙は森田健作氏の圧勝で幕を閉じた。 前回選挙で僅か6000票差で敗れた悔しさをバネに再挑戦に向けて今日まで4年間精力的に活動を続けてきた戦略と努力が結実した。 だが、マスコミは彼の勝因を小沢民主党代表の西松建設にからむ政治献金問題が大きな影響を与えた結果、と評している。
堂本前知事から後継者として指名され、共産党を除く全野党が推薦し、選挙中に各党代表や幹部が続々と千葉県入りして応援し続けた吉田平氏が彼に37万票もの大差をつけられて敗北したのには一寸驚いた。 
私はこの千葉県知事選挙の行方を注意深く見守ってきた。 それは、3月3日に小沢民主党代表の第一秘書である大久保秘書が東京地検特捜部に突然逮捕された時に、「ついにきたか!」と瞬時に閃いたことがあったからだ。
それから今日までのマスコミ報道、喧々囂々の評論家のかしましい論評、衆参両院議員の言い訳三昧、等々色々あったが、その殆どが小沢攻撃と政治献金の是非論であり、私が瞬時に閃いた事柄に触れる人は今日まで未だ一人としていない。 かろうじて、田中真紀子氏がTV朝日のサンデーモーニングで司会者の田原総一郎氏に語った言葉の中に含んでいたような気がする程度だ。
小沢代表は此度の大久保秘書逮捕、起訴を一貫して「国策捜査」と断じている。 私もそう断じている。 小沢氏がその理由をどう捕らえているか確かめる術は無いが、もしかしたら逮捕と聞いた瞬間私と同じことを閃いたかも知れない。
特捜部は、庶民にとっては、遠山の金さんや大岡越前守のような、弱きを助け強きを挫き悪を懲らしめる、正しく天に代わって悪を裁くヒーローだ。
とは言え、特捜部だって所詮は生身の人間だ。 喜怒哀楽もあるし防衛本能もある。 いつも千両役者と言うわけではない。 例えば米国のロッキード問題が日本に飛び火し田中角栄元首相が逮捕された時には、すぐに特捜部の裏で何者かが田中の政治力抹殺を画策しているに違いないと思ったし(後にこの事件は田中の強力なリーダーシップに恐れをなした米国が田中を失脚させる為に仕組んだもので、田中角栄失脚によって日本国民は大きな損失を蒙ったとされているが、いまだに多くの日本人はそのことに気がついていない。 この逮捕を今でも理不尽と思っている一番の人は田中真紀子氏だろう)、北方領土問題で鈴木宗男議員と佐藤優外務官僚が逮捕された時や、ライブドア堀江貴文社長や村上ファンドの村上社長が逮捕された時は、「特捜部よ、おぬしなかなかやるな〜」と拍手を送ったものだった。 
彗星の如く現れた金儲けの天才二人がマスコミであれだけ派手に金儲けの手段を披露し、猛烈なスピードで巨額の富を手にし、金さえあれば何でも望みが叶うなどどうそぶいたせいで、汗水流して働く事をせずパソコン一つで楽して大儲けを企む若者が急増していた矢先の逮捕劇だった。 このような風潮が続いたら日本経済や社会は大変なことになると将来を案じた特捜部は、正しく天に代わってその風潮を断ち切った事になる。
では、国策捜査とはどんなものか。 佐藤優氏の言を借りると、
「特定の政治的ターゲットの中に何としても犯罪を見出し作り出すこと」
「大きな必然性の中から生まれる日本の政官の関係を変えようと象徴的条件を作り出して断罪し、時代のけじめをつけるのが目的だった。 検察は職務を忠実に実行している」
ということになる。
私が、此度の大久保秘書逮捕を「国策捜査」と断じる理由はただ一つ、民主党と小沢代表潰し以外の何物でもないと言うことだ。 その為に逮捕のタイミングが非常に重要だった。 では、なぜ特捜部は民主党と小沢代表を潰さなければならないという結論に至ったか。 それこそが私が大久保秘書逮捕のニュースを聞いた瞬間に閃いた事柄だ。
「これは天に代わってでも国民の為でもない、霞ヶ関に跋扈する高級官僚を守る為だけの捜査だ!」
もし、衆院総選挙が行われ、民主党が大勝したら、霞ヶ関はどうなるか。 彼らにとってはそれが一番恐ろしい出来事だ。 小沢代表や民主党の多くの議員は口さえ開けば、政権を取ったら官僚の大改革を行う、とTVや新聞で機会あるごとに唱え続けてきた。 日本の官僚は結束力が極めて固いが、小沢ならやりかねない、牙城を壊されるかもしれないと危惧したに違いない。 それならいっそ事前に彼を潰してしまえ、と特捜部と密かに共謀し、その結果此度の逮捕起訴劇につながった、と確信している。
日本の多くの国民は、官僚の横暴を許すなと常々言っているくせに、そんな国民の期待を担おうと日夜頑張っている民主党のトップに西松建設がらみの政治献金問題で国策捜査のメスがはいった途端、「民主党はだめだ」と言うことで、次の総選挙で民主党を応援しなくなったら、民主党の勝利は有り得ず、霞ヶ関改革が出来なくしてしまうと言うことになる。 つまり高級官僚の思う壺である。 彼らはほくそ笑みながら密かに勝利の祝杯を挙げるだろう。 千葉県知事選挙でその兆しがはっきりと見えた。 つまり、日本の官僚支配はこれでまた等分続くことになろう。 どうやら改革などほんの口先だけで誤魔化されそうだ。
残念なのは、TVも新聞も評論家も大学教授も、高級官僚を怖がってか、誰もその事に触れようとしない。
民主党は次の総選挙に勝利したければ、この点を指弾し、国民に向かって高級官僚潰しをメインスローガンにして選挙の一大キャンペーンをしたら再び多くの国民の支持を得られ、地すべり的な勝利につながるのではないだろうか。 いや、それでも大勝出来ないかもしれない。 なぜなら、私同様、民主党に政権を委ねるのに不安がいっぱいな国民も非常に多いと思うからだ。
一番いいのは党を超えた志豊な人たちの大連合による政治で霞ヶ関の大刷新も断行して貰う事だが、コップの中の嵐の如く、与野党共にちっぽけな党利党略を繰り返している限り、頭脳明晰で保身術に飛びぬけた才能を発揮する霞ヶ関の高級官僚による国会軽視は続くだろう。