いわゆる団塊の世代とそれより一寸以前の年代がどんどん自由人の仲間入りをしている。
その人達をターゲットにした商品や企画が新聞やTVでどんどん紹介されている。その中でも一際目立つのが旅特集だ。長い間お疲れ様でした、先ずはゆっくり温泉でおくつろぎ下さい、と言った所だろう。しかし、その殆どは「食べ物」か「名所」をアピールした旅プランで、何故か温泉の泉質や効能効果を全く記していない。
私の本棚には温泉旅館関連の本が10数冊あるが、泉質は記されていても効能効果を明記した本は僅か1冊だ。しかし、その文字は拡大鏡で見なければ判読しにくい小ささだ。
私は温泉大好き人間だ。旅館では夕方、就寝前、早朝と、3回は入浴を楽しむ。5回も6回も入浴を楽しむ人がいるようだが、そこまではしない。
温泉に長く浸かっていると体に害を与えるらしい。俗に言う「湯あたり」になってしまうそうだ。だから、2〜3分浸かったら浴槽から出て暫く涼み、また2〜3分浸って涼む動作を繰り返すと良い。また、体力のない人や高齢者は早朝風呂を控えたほうがいいらしい。良質の温泉であることが前提だが。

私の山形の実家から車で3分の所に真室川温泉「梅里苑」がある。帰省中は毎日通うが、ちゃんとした宿泊施設を備えた立派な温泉である。浴室は男女湯とも広くて湯量も豊富だ。舐めると少しちょっぱい。皮膚疾患、疲労、肩こり、などに効き目があるらしい。泊り客は朝の6時から夜は11時まで入浴できるが、外来者は出入口が別で350円払えば朝9時から(8月は8時から)夜8時まで好きなだけ入浴できる。売店も食堂もある。
今までは、専らこの梅里苑を利用していたが、今年のお盆の帰省中に、実家から車で10分の所に「新真室川温泉」があることを教えられ、行ってみることにした。
午後3時頃だったと思う。到着した所は、およそ旅館とは言いがたい普通の民家のようで、設備らしいものは何もない。入浴料は一人1時間200円で1時間延長ごとに100円加算されるとのこと。
ガタピシ音がする廊下を左折し右折してたどり着いた出入口は戸が2枚。左の戸が男湯で右が女湯。男湯に入る時に戸をガラガラと右に開けると、女湯のが塞がれる。逆に女湯に入る時に左に開けると男湯に入れない。「なんじゃこれは!」と思いながら狭い脱衣所で裸になり、浴室を隔てた1枚の戸をガラガラと開ける。こんにちは、と声をかけて入っていったら、浴槽でわいわい歓談していた地元の老人2人がこちらを向いてにっこりと頭を下げた。
「な、何と小さな浴槽か!」。湯は鉄が錆びた色にそっくりの茶色。5人はとても入れまい。私が入ったら彼らは足を伸ばせなくなる。取りあえず体にお湯をかけ汗を流した。2人は浴槽から上がり足だけ浸してスペースを作ってくれたので、どっぷりと首まで浸かることにした。
信じられないことが起こった。どう説明したら解ってもらえるだろう。足の先から首の付けねまで、体の中に湯の成分がじわ〜っと沁みこんでいくようなぞくぞくした感覚が続くのだ。思わずうっとりと目をつぶってしまった。こんな経験は初めてだ。
暫くして、2人の老人に話しかけた。「地元の方ですか?」「んだ」「この温泉はいつごろからあるんですか」「んだな〜、昭和40年代の頃だから、まんだ50年は経ってね〜のんねがな〜」「温泉としては素晴らしい感じですけど、何に効くんですか?」「この湯はホントにいい湯でな、腰痛いの、膝痛いの、腕痛いの、って言う年寄りなど1週間も毎日入ればすっかり治ってしまうんだ」
のぼせてしまうので、私も足だけ浴槽に入れての会話だったが、素朴な老人たちとすっかり打ち解けて話が弾んだ。
彼らが出た後は私が1人だけになった。改めて中を見回すが、あまりにも設備が稚拙で、之では客が寄り付くまい、と思ったが、体に故障を抱えている人々が遠くからやってくるらしい。ボロだが宿泊施設もあることはある。ただ、飲食はすべて自炊が条件だ。
脱衣所では、拭いても拭いても汗が止まらない。まぎれもなく泉質のいい温泉だ。別名、「関沢温泉」ともいう。館が「関沢荘」なのでそう呼ばれるのであろう。私はすっかり「湯」の虜になってしまった。
9月、稲の刈り入れの手伝いに再び実家に帰った時は、膝が痛くて温シップをしていた母を毎日連れて行った所、4日目にはすっかり快癒し、今でも痛むことはないという。驚きの効能効果だ。

これほどの温泉をあのままにしておくのは本当にもったいない話だが、果報な道楽者が余っている金を投入して小奇麗な旅館を建て浴槽も大きくしたら、きっと繁盛すると思う。「食べ物」や「名所」などを宣伝に使わず、ただひたすら「効能効果」をアピールし続ければの話だが。

「新真室川温泉」でも「関沢荘」でもホームページで検索すれば写真も見られるが、「隠れた名湯」発掘に興味ある方は一度お試しあれ。 東京からは一寸遠すぎるけど。