この感情は何処から何故湧くのだろうか。63歳の今でも、少年時代に過ごした仲間と会うときは普段身に着けている鎧を全て脱ぎ捨てて抱き合いたい気分になる。
24日に中学時代の同期会を催した。山形県の最北部にある金山という町の唯一の中学校の34年度卒業生の集いである。毎年2月の最終日曜日に集うことにしている同期会、と言っても東京近郊で暮らす同期生をメインとした集いで「如月会」と称している。2月は、動物や植物が一年の活動を始める月、我々同期生もそれに倣おうという意味がこもっている。
今年でもう27回を数える。嬉しいことに、此度は30人もの会員から出席の返信ハガキが届いた。故郷の金山からも、仙台からも、郡山からも、わざわざ電車賃を使ってでも出席したいとの特別便も届いた。幹事冥利に尽きる。
ところが当日思わぬアクシデントが出来した。23日に続き24日も猛烈な春一番が日本列島を襲い、東京近郊の多くの沿線はストップ、東北新幹線も宇都宮ー那須間で35メートルもの突風が吹き荒れているということで上下線ともストップとなってしまい、いつ運転が再開するか目処が立たないとの事で、山形、仙台、郡山組は開催時間に間に合わなくなってしまった。
私も予定より30分程早めに家を出たにも拘わらず、新京成線に乗車中に常磐線が上下線ともストップしている事を車内アナウンスで知らされ、北総線や京成線を乗り継いで大きく迂回した為幹事の集合時間に一寸遅れてしまったが、嬉しいことに私が会場に到着した時、もう10名以上ものメンバーが集まっていて既に話の花を咲かせていた。
会は予定の時間通り始まったが、その時点で出席者は19名。それでも陽気で賑やかな様はその倍の数ほどだ。閉会間際になって郡山からの出席者が到着、そして2次会の席に仙台から一人合流、また、山形からの出席者KK氏は、福島手前で立ち往生していた列車が閉会2時間後に上野に到着したが、帰りが心配なのでそのまま同じ列車でとんぼ返りした、との事だった。
このとんでもないハプニングで私についたあだ名は「嵐を呼ぶ男」。誕生日が9月1日で、この日は関東大震災記念日で二百十日なのだから、言い訳無用である。
それにしても、昨年の5月、8月、9月と3度に亙り彼の家を訪問し「三顧の礼」を尽くして出席を快諾してもらったKK氏が会場入り出来なかった事は誠に残念無念の一語に尽きる。何故なら、彼に近況報告をしてもらって、出席者に大いに活力を与えてもらおうと目論んでいたからだ。
彼の生き方は素晴らしい。自然との共生を中学卒業時から果敢に実践してきた男だ。そして、今それが全国的な広がりを見せ多くの支持者を得て花開いている。県や国からは何度も表彰されている。地方のテレビやラジオ番組にも頻繁に出るし、昨年はNHKの昼時日本列島でも家族総出演した。山形大学山形短期大学の非常勤講師でもあるかれは超繁忙な男なのだ。
彼の人となり、生き方を知るには「十三戸の村かがやく」と言う彼の著書を読めば少しは解る。心にじ〜んと伝わる純粋な文章の連続には感動せずにはいられない。
こんな同級生がいることを大いに誇りにしている。