正月6日に紹介した、東北大学の学生による「日本SHOCK!フェア」の結果が3月9日の産経新聞に掲載された。
タイトルが傑作だ。「日本人ならイモを食え?!」だったが、池田隼人の迷言「貧乏人ならムギを食え」をもじったのだろうか。食料自給率100%で食事メニューを作ると朝昼晩ともイモが主食となるとの事だが、新聞によると、東北大では当初予定していた1日30食を2日間で117食作って販売したとの事。
食べた学生の85%が日本の食糧自給率の低さを問題視していたそうだが、熊本市議会議員が見学に来たり千葉県の主婦団体から問い合わせがあったりと、全国的に反響があったそうだ。今後は小学生とその親に同じメニューを体験してもらうイベントを仙台市の主催で開催してもらおうと教育委員会と交渉中らしいし、全国の大学生協に対してもこのイベントを働きかけているようだ。
でも、第二次大戦中に生まれ、東京大空襲で住む家を焼かれ、命からがら両親の実家に疎開し、新円切り替えの波をもろにかぶり、極端な食料不足の状態で中学卒業までそこで過ごした時の我が家の食事メニューと比較すれば、東北大のメニューは遥かにご馳走である。なにせ、夕食にはサツマイモ100gのほかにごはんが75g、焼き魚が84gも付いてくるのだから。
私の場合は蒸かしたサツマイモか煮たかぼちゃが主で、ジャガイモや大根が全体の7割を占める混ぜご飯がたまに出る程度だった。ジャガイモや大根は白いので、細かく刻むとごはんつぶと見分けが難しくなる、という母の知恵から生まれたご飯だった。今でもあの臭くてまずい味を思い出してしまう。
私は小さい頃からサツマイモやかぼちゃを食べた時は胸焼けに悩まされた。胃酸過多になったのは食べ物のせいか、もともと胃が弱かったせいかわからないが、小学生にも満たない幼児が胸焼けに悩まされ、父親が飲んでいた金色と赤色の「大田胃酸」缶が茶箪笥の最上部に乗っかっているのを見つけ、踏み台を運んできてやっと手に取り、ひとさじこっそりと飲んだ事も1度や2度ではない。
子供時代に、一生食べる分食べてしまったと思っているから、サツマイモやかぼちゃは全然食べる気がしない。たとえ高級天婦羅店でもサツマイモやかぼちゃの天婦羅が出てくると、口をとがらして、ほかのに替えてくんない?と哀願してしまうか、同伴者にさっさとあげてしまうかである。
だから、私の場合は100%自給時代に突入した場合、このメニュー通りでは閉口してしまうので、サツマイモを除いた野菜(山菜)中心の食事になると思う。
戦中派の悲しき一面か。