今年は元旦から今日まで、恒例の「餅を喉に詰まらせて死亡」した記事は、産経と日経を見る限りだだ1度だけだ。 その代わり、なんとも痛ましい火事のニュースが連日紙面をかざっている。 犠牲者は幼子から高齢者まで幅広い。 消防庁の調べでは、毎年1月から3月の3ヶ月間が出動回数が一番多いのだそうだ。 暖房器具が使用されている期間でもあるが、もっと大きな要因は空気が非常に乾燥していてしかも風が強い日が多いからだろう。
私は山本一力氏の小説が大好きで刊行された本は殆ど読破しているが、彼の小説の大半は「江戸深川」が舞台で、しかもストーリーの途中で必ずと言っていいほど火事の場面が登場する。 その描写は迫力満点で本当に火事場にいるような臨場感に溢れている。
事実江戸の街は何度も大火に見舞われ、時には江戸城武家屋敷さえも容赦なく炎に包まれた。 そして、その度に復興の槌音がいたる所で鳴り響く事になる。 江戸時代の建築材は主に材木で、屋内は藁と紙が多く使用され、一握りの金持ちだけが土や瓦を使って倉や塀を建造したに過ぎないので、ひとたび出火すれば瞬く間に周囲に燃え広がってしまう。 何もかも燃え尽くしてしまう火事は江戸住民の一番恐れる出来事であった。 だから、威勢のいい町火消しは多くの人から尊敬され、逆に放火は親殺しと同様に磔け獄門の極刑に処せられた。
その江戸も幕末に西郷隆盛を総大将にした薩長土肥の連合軍に焼き尽くされる運命だったが、NHKの「篤姫」でも演じられた通り、勝海舟との直談判で江戸城無血開城が決まり、彰義隊との衝突が起きた上野周辺以外は戦火を免れた。
しかし、それから半世紀後に天災に見舞われた。 大正11年9月1日に起きた「関東大震災」である。 そしてそれから更に四半世紀後の昭和20年3月、今度は米軍のB29編隊による大空襲で東京は再び焼け野原になった。 米軍が東京空爆に使用したのは主に焼夷弾だった。 ドイツ攻撃の時はかなり破壊力のある爆弾を使用したらしいが、木や藁で出来ている日本の市街を攻撃する時は焼夷弾で火事を起こすのが一番効果があると判断しての使用だったようだ。 その為にコンクリートの建物はかろうじて残ったが、家屋の殆どは消失した。 以来今日まで65年間、大きな火事とは無縁である。
太古の昔ならいざ知らず、現代の我々は火が無かったら生きていけない体になってしまっている。 火は大切なエネルギーだ。 しかし、その使用法や対処法をうっかり間違えたり、火を侮ったりするととんでもない結果を生むことになる。 消防庁の調査によれば出火原因で最も多いのは「焚き火」で、発生件数はダントツだ。 そして次に多いのは「コンロ」と「放火(疑いも含めて)」で、そのあとに「タバコ」「ストーブ」「火遊び」「電灯・電話」と続く。電話がどうして出火原因なのか一寸理解しにくいが、毎年6〜7件はあるという。
世田谷で起きた4人の犠牲者を出した火事の原因は、亡くなった妻の仏壇のろうそくを灯そうとした高齢の夫が自動着火装置の操作を間違えての惨事だった。 一瞬にして子供や孫4人を無くした当人は今でも現実を受け入れられる状態では無いだろう。 本当に怖い話であるが、対岸の火事と言って済まさず、火は必要欠くべからざるものである反面、一つ間違えば一瞬の内に人間を不幸のどん底に突き落とす魔物であることを肝に銘じ、私も毎日の火の扱いには充分に気をつけて日々を過ごしている。