年に一度の同期会が今年も東京で催された。 この会は東京近郊に住む同期生を中心とした集いだが、今年は幹事が遠い故郷で暮らす同期生達にも呼びかけたらしく、なんと12名もが団体を組んで500Kmも離れた雪国から馳せ参じた。 12名のうち10名が女性だ。 そして、彼女たちは頗るパワフルで明るくて若々しい。 でも半分は私にとっては50年ぶりの再会で、どうしても名前が思い出せない。
会始まって以来の45名もが集い、飲み、食べ、歓談し、歌い、そして各人が近況報告のスピーチと、会場は熱気に溢れた。
東京近郊在住組の多くは、井沢八郎が歌った「ああ上野駅」の歌詞そのままの、夜行列車に揺られて上野駅に着いた集団就職経験者で、その後の人生は「三丁目の夕日」のストーリそのままだった。 数え切れない程のつらい思いを重ね、故郷の母や父を思い、兄弟姉妹を思い、友達を思い、寂しさに耐えかねて就寝前の蒲団の中で泣いた事も幾度となくあったであろう。 そして、涙の数ほど強くなって行った。
その頃はそれが当たり前だったと誰もが認識しているので、同期生の誰一人としてそんな過去の事を話題になどしない。 言われなくても皆わかっていることなのだ。 各人が自分なりに一生懸命頑張ったればこそ今の自分があり、こうして楽しく生きていられるんだ、と言う自負があるからだ。
今、マスコミは、朝から晩まで未曾有の経済危機とか金融危機とか騒いでいるが、敗戦後の都会の人々の暮らしぶりはどうだったかを知って今の暮らしと比較したらとてもそんな大袈裟な言葉など出てこないはずだ。
今読んでいる本「ワルツ、上、中、下」(花村萬月著、角川書店)は敗戦直後の東京を舞台にしたフィクションストーリーだが、生活環境描写はほぼ実態に近いと言えよう。 この本を読んだら、今を未曾有の危機などとどうして言えようか。 兎に角凄い内容の本だ。
同期生が上京したのは敗戦から14年後で、4年後に東京オリンピック東海道新幹線開通を控えた経済発展著しい時期だった。 それだけに大企業のみならず弱小企業も人手不足で、低賃金で労働力を確保する為にはどうしても東北地方の子供たちに期待するしかなかったのだ。
東北地方の子供たちは辛抱強い、といった風評もあったので、就職先は多数あったが、子供たちの期待が大きすぎたのだろうか、就職先の会社に着いてから、こんなはずでは、と失望して半年や1年で転職してしまった人が非常に多かったと記憶している。
同期生と話していると、何度も転職を繰り返した人もいることに気がつく。 彼らは風評とは裏腹に、他人から抑圧された事に対しては決して辛抱強い訳ではなく、一旗揚げて故郷に錦を飾る夢を実現させるために辛抱強いだけなのだ。
挫折した人もいるが、立派に夢を果たして今でも社長として2つも3つも会社を経営している人もいる。
そんな一人と此度もしばし歓談したが、彼はつい先日従業員に「マスコミ報道に惑わされるな! 車を欲しがってる人は一杯入る、今年は去年より1割増の売り上げを達成しよう! 皆なら出来る! 頑張れ!」と檄を飛ばしたそうだ。
センスが良くてハンサムな彼が販売しているのは主に小型車だが、従業員は皆元気で明るくて誰一人不景気面などしていないそうだ。
言いたかないが、幾多の経験を積んでいる我ら同期生はちょっとやそっとの不景気風などは涼しい顔でやり過ごせる胆力がある。