昨日、山崎豊子原作の映画「沈まぬ太陽」をやっと観た。 やっと、と言うのには訳がある。 

この物語は、日航ジャンボジェット機御巣鷹山墜落事故は何故起きたかを世に問いかける山崎氏の渾身の力作だが、正直な所読むのが怖かったから未だに読んでいない。 此度映画が封切られてもなかなか映画館に足を向けるのを躊躇していたのだが、昨今のJALの経営危機報道を読み、思い切って観る事にしたのだ。

「あなた方は日本人ですか?」
8月13日夕刻、ヨハネスブルグの中心に聳え立つカールトンホテルの一階カフェで、同行した取引先の人と南ア産の美味しいワインを飲みながら仕事の疲れを癒していると、灰皿を掃除に来たと見られるエプロン姿の黒人女性が背中越しにこう問いかけてきた。
「そうですが?」と答えた途端彼女は例えようの無い黒人特有の慈悲深い顔になり、頭を振り振り
「オー、ベリーソーリー、ベリーベリーソーリー、なんと申し上げてよいやら」と、520名の犠牲者を出したJAL大惨事に対して切々と哀悼の意を表した。

旅の途中という心理も手伝い我々もかなりのショックを味わっていただけに、この思いがけない自愛に満ちた言葉に胸にこみ上げるものをこらえながら、深々と頭を下げ、「サンキューソーマッチ、お心遣い本当に感謝します」と心の底から礼を言わずにはいられなかった。

上の文章は今から25年ほど前に私が「日本貴金属時計新聞」に毎月一回「宝飾ビジネス講座」と題して連載していた中の11回目の冒頭文だ。 

実はその頃既に私はJAL不信の塊だった。 海外出張には絶対にJALに乗ることを嫌った。 日本人がナショナルフラッグであるJALを嫌うのは怪しからんといわれるかも知れないが、私だって1968年に香港駐在員として赴任した時初めてJALに乗ってからしばらくはJALフアンだったのだ。 しかし、その後の高度成長で農協やブルーカラーなどの団体が海外旅行をし始めてからJAL乗務員の日本人乗客に対するサービスの仕方が微妙に変わってきてしまい、エコノミークラスのビジネスマンまでもがそうした団体と同等の扱いを受けるようになってからはだんだんと乗るのが嫌になってしまった。

だが、私を決定的にJAL嫌いにさせてしまったのは2つの出来事だ。 一つ目は、取引先の社長2名とビジネスクラスに搭乗した時の事。 チーフパーサーらしき服装の日本人クルーが搭乗者名簿を片手に持って我々3名が並んで座っている所に現れ座席番号を確認してから社長の一人に向かって「A様でいらっしゃいますか?」。 問われたA社長が「ええそうです」と答えると、「いつもJALをご利用頂き誠に有り難うございます、どうぞ今後とも宜しく御願いします。フライト中何かございましたら何なりとお申し付け下さいませ」と馬鹿丁寧なお辞儀をし、我々を含め他の乗客には目もくれず去っていった。」

「何だありゃ。」とそれまで数え切れないほどフライトを経験している私ももう一人の社長もこの初めて目にする奇妙な光景に思わず二人で顔を見合わせたのは言うまでもない。 暫くして腹が立ってきた。 JALはそこまで卑屈に乗客を差別するのか。 これは、日本人独特の木っ端役人根性的サービス方法だ。 JALのトップから幹部クラスは皆役人上がりだからこそこんな役人的発想から生まれたこんなお為ごかしのサービスを実行させているのだろうという結論に至り、そのうちきっと大事故を起こしかねないな、と危惧を抱いたものだった。

もう一度は、バンコックでの出来事。 円高が急速に進んできていた頃、同じルートでも日本発と海外発では航空券が2倍以上も差がついてしまった時がある。 今でも多分同じと思うが、賢いビジネスマンは出張費節減の為に年に何度か同じ航路で往復する予定がある場合、ビジネスクラスのような高い航空券を日本でなく海外で求めるよう知恵を絞った。 しかし、JALはそんな航空券をことごとく嫌っていた。 当時、発券時にフライトを予約していても出発48時間前に必ず航空会社に再確認の電話を入れるのが義務づけられていた。 

海外でビジネスクラスのチケットを初めて手にした我々一行はイスラエル出張の帰途、バンコックに立ち寄り宿泊ホテルルームからきちんとリコンファームし、出発当日バンコック空港でJALのビジネスクラスチェックインカウンターで搭乗手続きと取ろうとした所、リコンファームが為されていないから受け付けられない、と拒否されてしまった。 間違いなくしたと何度交渉しても、ビジネスクラスは既に満席であなた方3名の席は無い、の一点張り。 どうしてもビジネスクラスに乗りたければ3日後の夜のフライトしか空きが無い、でもエコノミーなら3席何とか確保する、との事。 JALの空港事務所に行って詰め寄ったが全く聞き入れられなかった。 「はめられた!」と悟ったが、どうにもならない。 結局エコノミークラスの一番前の席に3名並ばされて帰国する破目になったが、JALにしてみれば、「日本人がこんな安売りチケットでビジネスクラスに乗るなんて言語道断」なのだろう。 でも外国人乗客は同じ安売りチケットで堂々とビジネスクラスに乗っているのだ。 このときこそ「今後永久にJALは乗らない!」と決めた瞬間だった。

外国人乗客には卑屈にぺこぺこしまくり逆に日本人乗客をここまでないがしろにしてふんぞり返るJALが日本のナショナルフラッッグとは聞いて呆れる、と帰国してからも暫く怒りが収まらなかった。 

そして間もなく、南アのヨハネスブルグに出張中に、国際線ではなく国内線で大惨事が起きたのだった。 大惨事の報に接した時、深い悲しみに包まれながらも、それ見たことか、それ見たことか、でも私の怒りのせいではないよ、と心でつぶやいていたものだった。 そして帰りの飛行機に乗るのが怖くなった。

映画を観て、山崎氏が、何故御巣鷹山大事故が起きたかを、JALの内奥深くまでメスを入れて鋭く突いているのを知った。 観てよかった。 飛行機事故は今後絶対に起こしてはならない。 映画では飛行機事故は70%が人為的ミスからきていると説明していたが、私は99%が人為的ミスと確信している。

此度のJAL再建に国交省の前原大臣がどう対処するか注目に値するが、内部のいたるところに癌の塊があるようなので、余程心してかからないと自分に癌を転移させられてしまう危険性が無いとは言えない。
前原大臣はもうこの映画をごらんになったであろうか。 

途中10分間の休息時間を入れて、約3時間半の長編だったが、ある意味では日本の恥部を凝縮した映画でもあった。 渡辺謙氏の演技は抜群で、三浦友和氏ほかそうそうたる配役陣が脇を固めストーリにどっしりとした重厚さを持たせている。 間違いなく五ツ星の映画だ。
  

 

事業仕分け」なる不可思議な作業が終わった。 一般公開に近い形で行われた為に大きな話題を提供したが、私のみならず大多数の国民が大いに期待したにも拘わらず、どうも民主党のパーフォーマンス的要素が色濃く反映しスタンドプレイが目立った作業だったように思えてならない。

その結果を一口で言えば「むちゃだ」だ。 時間が無かったから仕方が無いといえばそれまでだが、余りにも独善的な結果の出し方だ。 目先の大衆受けだけを狙って、過去の実績や未来のビジョンをろくに考査しないままどんどん決めていった手法にはただ呆れるばかりだ。

枝野議員や蓮舫議員がやたらと目立ったのは、マスコミが二人を大衆の味方、正義の味方の如く扱かったからで、決して仕事の内容が評価されたからではあるまい。 

民主党が選挙公約で掲げた政策を実行するにはとんでもない額のお金がかかる。 だから、自民党が推進してきた税金の無駄を全て洗い出して、その浮いたお金を新政策のほうに回すという手法にはエールを送りたいが、その「無駄」を本当に無駄かどうかを限られた極く短い時間に正確に判断する極めて困難な作業をたったこの二人に委ねた民主党の幹部の放漫振りに、一体日本をどうするつもりだ!と怒鳴りつけたくなる。

一般大衆紙のA社やTVAなどはあたかも民主党の広告塔の如く彼らの仕事振りにせっせと賛辞を送り続けているが、これは日本にとって極めて危ない兆候だ。 でも、今は冷静に判断できる国民が圧倒的に多くなって来ているから、そうそうマインドコントロールされることも無いだろうと信じている。 A紙の購読家庭がどんどん減っているようだし、TVAの視聴率も低迷していることからもそれが窺える。

これから第2幕が切って落とされる。 政治折衝の始まりだ。 いよいよ民主党の技量が試される正念場だ。 くれぐれも舵取りを間違えないで欲しい。 万が一にも目先だけの大衆迎合に重点を置いた金の使い方だけはしないで貰いたい。  

大衆迎合の良い子振り政策は昭和30年代の東京都の美濃部都政を髣髴させる。 美濃部都知事は都民に対し余りにも良い子ぶり過ぎた為に都の財政を破綻させてしまった。 膨大な借金の原因は都民のおねだりをなんでもかんでも聞き入れた為だ。 その後、都民も反省し役人も反省しやっとの事で財政を立て直したのが鈴木俊一都知事だった。 バブルが後押しした事が回復を早めた主因だったとは言え、爪痕は相当深かった筈だ。 

事態が東京都だったからまだいいが、それが日本国の破綻となれば大変な事になる。 日本国民も、やたらとおねだりをする事は、国を滅ぼす原因になると肝に銘ずべきだ。


 

4月2日以来今日まで、ブログの仮死状態が続いてしまった。 先日1年ぶりに昔なじみの仲間の集いがあったが、多くの人から「どうしたんだ!」と詰問されてしまった。 書きたい気はあったのだが、春からつい先日まで、一人暮らしを続ける90歳の母の頼みで、何度も帰省する必要があったり、何かと気ぜわしい出来事が続いたため落ち着いて長時間PCに向き合う機会が少なかったことで、ついサボり癖が着いてしまったのが主な理由だ。 面白いので続けて書いて欲しいとの要望を頂いたので何とか時間の許す限りまた徒然に記してみたい。

今日は年末ジャンボの売り出し日。 当りくじが出ると評判の売り場には億万長者の夢を追う人々が早朝から長蛇の列を作ったらしい。 一等は2億円70本、1等の前後賞各5千万円140本、2等1億円140本、3等5百万円が700本も当るのだそうだ。

昨年のリーマンショック以来厳しい経済状態が続いている中で人々が神頼みの億万長者を夢見るのは自然の理であろうが、世の中にはそうでない人もいる。 上述した私の母がその一人だ。

帰省中に、この宝くじの宣伝がTVで流されたとき、「母さん、1億円当るかも知れないから宝くじ買ったら?」と話しかけたところ、「ん〜〜〜〜〜。 駄目だ駄目だ! もし買って1億円など当ったら、それこそ恐ろしくて生きた心地などしなくなる。 世の中にはろくでもない人間が一杯いるんだから金狙われて殺されてしまうだけだ。 とんでもないとんでもない、今のままで充分幸せだ。」と、すさまじい勢いで拒否されてしまった。

今のままとはどんな暮らしか。 米を作っているが農作業は全て人任せなので肥料代や手間賃を払ったら米を売って得たお金の殆どが消えてしまい、残るのは売らなかった僅か3〜4俵の玄米ばかり。不作の年は赤字となってしまう。 現金はほんのすずめの涙ほどの年金だけが頼りだ。 野菜類は自分で育てるが、自分で作った堆肥を主に使うのでそれはそれは見事な野菜が出来上がる。 ところが自分で食べる分は僅かなので殆ど人にあげてしまう。 調味料も魚肉類も消費はほんの僅かだ。 勿論、近所や友達が色々な食べ物を持参してご馳走してくれたりもするが、自然豊かな中での自由奔放な毎日とは言え、このような80%自給自足の超貧乏生活を母は「幸せだ」と言う。 子供たちがどんなに頼んでも、一緒に都会で生活することを拒み続けている。

今朝、某TVが、宝くじで2億円当ったら何に使うか、というアンケートの結果を報じていた。 どんな人を対象に調査したか分らないが、ダントツの1位は「貯金する」だった。 2位は「旅行」、3位は「家を買う」で、夢を追うわりにはつまらない使い方しか考えていない人が多い。 

しかし、富豪なら別として、一般庶民が3億円当たってしまったら周囲に波風が立たない筈が無い。 何の労もせず一朝にして大金を掴んだが為にその後の人生を台無しにしてしまった人が数多くいる事も事実だ。 何処で聞きつけてくるのか、慈善団体がわんさと押し寄せてくるし、投資や融資や勧誘話もひっきりなし、友達や親戚も一挙に数倍に膨れ上がるとか。 正に人間が試される正念場となる。

私はこれまで300円以上当ったためしがない。 余り期待しないで買うし、上のような事を言ってるので神様にそっぽを向かれているのかも知れない。 母に心配をかけない為には買わないほうがいいのかもしれないが、10枚くらい買っても良いかな、という思いもある。 締め切りは12月22日だそうだ。



  

人間は一度いい思いを味わうと、それが忘れられず再び味わおうとする。 つまり「欲」が出る。
「欲」と言う字は本来「慾」と書く。 「心」が付くと納得の漢字になるのに今は殆ど使われない。
3月31日、東京は曇天だったが、年度最終日だから人々は多忙で、しかも平日だから多分混まないだろうと、昼前に「ルーブル展」を鑑賞しようと出かけたが、上野駅公園口に着いて驚いた。
改札口左脇の展示会鑑賞券売り場には50人ほどが列を作っていたが、改札を出たらすごい人の群れだ。 其処から歩いて1分ほど先にある「ルーブル展」開催中の西洋美術館に着いてまたまた驚いた。 なんと入場制限中。 入場まで40分待ちとの事。 とても耐えられない。 諦めついでに、係員に「平日でもこうなの?」と聞いたら、「今日は混んでるほうですが、土日ほどではありません。」
それではと、開催初日の「国宝阿修羅展」に行くことにした。 道すがら、科学博物館で開催中の「大恐竜展」の前を通ったが、ここも長蛇の列。 春休み中とあって、親子ずれが200m近くは並んでいたろうか、入場までに50分待ちの看板が出ていた。
やっと東京国立博物館前の入場券売り場迄来て見たら、ここにも「入場まで20分待ち」看板が。 しかし、前方の平成館の入り口付近に並んでいる人数はそれほど多くなさそうに見えたので、取り敢えず券を購入して中に入って並ぶことにした。 
20分も待たずに入場することが出来たが、中に入ってまたまたびっくり。 兎に角、館内は人で溢れかえっている。 展示場内もびっしり人で埋まっている。 目玉の阿修羅像の展示室はまるでパンダを見るための行列を彷彿させるように、前後左右からぎゅうぎゅう押されて時計回りにゆっくりと動きながらの鑑賞だ。 とてもじっくりと鑑賞できるような状態ではない。 これには参ってしまった。 でも、八部衆十大弟子立像、四天王立像や高さ8メートルもありそうな薬王菩薩立像、薬上菩薩立像など、素晴らしい作品を鑑賞できたことで溜飲を下げることが出来た。
人混みは館内の阿修羅関係特設売場でも同じ。 商品を手にしたレジ待ちの人でごったがえしている。 人混みはもうこりごりと、早々に退散した。
所が、次は桜を観賞しようと桜並木通りに足を運んでみてうんざり。 道路はやっと肩がぶつからない程度の間隔でびっしりと人が歩いている。両脇の桜の木の下には青いシーツがびっしりと敷かれている。 既に顔を真っ赤にして騒いでいる若者集団があちこちにいる。
何度でもマスコミ連中に問い正したい。 本当に今、日本は大不況なのか?と。 この実態をどう説明できるのか?と。
昨年、リーマンブラザーズショックで人々は急遽財布の紐を引き締めた。 しかし、我慢はそう長く続けられるものではない。 別に金は無い訳ではないので、使いたい気持ちがむずむず湧いてくる。 食べ物にも着物にもまたぞろ買い意欲が湧いてくるのは「慾」が潜在する限り当然の成り行きだ。 ただ、使い方の問題だけだ。
TDLの入場者数は昨年2722万人と最高記録を更新したそうだ。 人々は楽しみたがっている。 遊びたがっている。 今日、株式市場は売買が活発に行われ、株価は昨日に続き急上昇した。
人々の「慾」が頭をもたげて来ている。 そんなことから、もう景気は底をついてこれからはじっくりと上昇していくのではないかと判断している。 

今日から新年度。 学校でも会社でも官公庁でも新たな年輪が刻まれる初日だ。 装いだけでなく心身共にリフレッシュして新たな第一歩を踏み出したことだろう。
千葉県知事選挙は森田健作氏の圧勝で幕を閉じた。 前回選挙で僅か6000票差で敗れた悔しさをバネに再挑戦に向けて今日まで4年間精力的に活動を続けてきた戦略と努力が結実した。 だが、マスコミは彼の勝因を小沢民主党代表の西松建設にからむ政治献金問題が大きな影響を与えた結果、と評している。
堂本前知事から後継者として指名され、共産党を除く全野党が推薦し、選挙中に各党代表や幹部が続々と千葉県入りして応援し続けた吉田平氏が彼に37万票もの大差をつけられて敗北したのには一寸驚いた。 
私はこの千葉県知事選挙の行方を注意深く見守ってきた。 それは、3月3日に小沢民主党代表の第一秘書である大久保秘書が東京地検特捜部に突然逮捕された時に、「ついにきたか!」と瞬時に閃いたことがあったからだ。
それから今日までのマスコミ報道、喧々囂々の評論家のかしましい論評、衆参両院議員の言い訳三昧、等々色々あったが、その殆どが小沢攻撃と政治献金の是非論であり、私が瞬時に閃いた事柄に触れる人は今日まで未だ一人としていない。 かろうじて、田中真紀子氏がTV朝日のサンデーモーニングで司会者の田原総一郎氏に語った言葉の中に含んでいたような気がする程度だ。
小沢代表は此度の大久保秘書逮捕、起訴を一貫して「国策捜査」と断じている。 私もそう断じている。 小沢氏がその理由をどう捕らえているか確かめる術は無いが、もしかしたら逮捕と聞いた瞬間私と同じことを閃いたかも知れない。
特捜部は、庶民にとっては、遠山の金さんや大岡越前守のような、弱きを助け強きを挫き悪を懲らしめる、正しく天に代わって悪を裁くヒーローだ。
とは言え、特捜部だって所詮は生身の人間だ。 喜怒哀楽もあるし防衛本能もある。 いつも千両役者と言うわけではない。 例えば米国のロッキード問題が日本に飛び火し田中角栄元首相が逮捕された時には、すぐに特捜部の裏で何者かが田中の政治力抹殺を画策しているに違いないと思ったし(後にこの事件は田中の強力なリーダーシップに恐れをなした米国が田中を失脚させる為に仕組んだもので、田中角栄失脚によって日本国民は大きな損失を蒙ったとされているが、いまだに多くの日本人はそのことに気がついていない。 この逮捕を今でも理不尽と思っている一番の人は田中真紀子氏だろう)、北方領土問題で鈴木宗男議員と佐藤優外務官僚が逮捕された時や、ライブドア堀江貴文社長や村上ファンドの村上社長が逮捕された時は、「特捜部よ、おぬしなかなかやるな〜」と拍手を送ったものだった。 
彗星の如く現れた金儲けの天才二人がマスコミであれだけ派手に金儲けの手段を披露し、猛烈なスピードで巨額の富を手にし、金さえあれば何でも望みが叶うなどどうそぶいたせいで、汗水流して働く事をせずパソコン一つで楽して大儲けを企む若者が急増していた矢先の逮捕劇だった。 このような風潮が続いたら日本経済や社会は大変なことになると将来を案じた特捜部は、正しく天に代わってその風潮を断ち切った事になる。
では、国策捜査とはどんなものか。 佐藤優氏の言を借りると、
「特定の政治的ターゲットの中に何としても犯罪を見出し作り出すこと」
「大きな必然性の中から生まれる日本の政官の関係を変えようと象徴的条件を作り出して断罪し、時代のけじめをつけるのが目的だった。 検察は職務を忠実に実行している」
ということになる。
私が、此度の大久保秘書逮捕を「国策捜査」と断じる理由はただ一つ、民主党と小沢代表潰し以外の何物でもないと言うことだ。 その為に逮捕のタイミングが非常に重要だった。 では、なぜ特捜部は民主党と小沢代表を潰さなければならないという結論に至ったか。 それこそが私が大久保秘書逮捕のニュースを聞いた瞬間に閃いた事柄だ。
「これは天に代わってでも国民の為でもない、霞ヶ関に跋扈する高級官僚を守る為だけの捜査だ!」
もし、衆院総選挙が行われ、民主党が大勝したら、霞ヶ関はどうなるか。 彼らにとってはそれが一番恐ろしい出来事だ。 小沢代表や民主党の多くの議員は口さえ開けば、政権を取ったら官僚の大改革を行う、とTVや新聞で機会あるごとに唱え続けてきた。 日本の官僚は結束力が極めて固いが、小沢ならやりかねない、牙城を壊されるかもしれないと危惧したに違いない。 それならいっそ事前に彼を潰してしまえ、と特捜部と密かに共謀し、その結果此度の逮捕起訴劇につながった、と確信している。
日本の多くの国民は、官僚の横暴を許すなと常々言っているくせに、そんな国民の期待を担おうと日夜頑張っている民主党のトップに西松建設がらみの政治献金問題で国策捜査のメスがはいった途端、「民主党はだめだ」と言うことで、次の総選挙で民主党を応援しなくなったら、民主党の勝利は有り得ず、霞ヶ関改革が出来なくしてしまうと言うことになる。 つまり高級官僚の思う壺である。 彼らはほくそ笑みながら密かに勝利の祝杯を挙げるだろう。 千葉県知事選挙でその兆しがはっきりと見えた。 つまり、日本の官僚支配はこれでまた等分続くことになろう。 どうやら改革などほんの口先だけで誤魔化されそうだ。
残念なのは、TVも新聞も評論家も大学教授も、高級官僚を怖がってか、誰もその事に触れようとしない。
民主党は次の総選挙に勝利したければ、この点を指弾し、国民に向かって高級官僚潰しをメインスローガンにして選挙の一大キャンペーンをしたら再び多くの国民の支持を得られ、地すべり的な勝利につながるのではないだろうか。 いや、それでも大勝出来ないかもしれない。 なぜなら、私同様、民主党に政権を委ねるのに不安がいっぱいな国民も非常に多いと思うからだ。
一番いいのは党を超えた志豊な人たちの大連合による政治で霞ヶ関の大刷新も断行して貰う事だが、コップの中の嵐の如く、与野党共にちっぽけな党利党略を繰り返している限り、頭脳明晰で保身術に飛びぬけた才能を発揮する霞ヶ関の高級官僚による国会軽視は続くだろう。 
 

昨日のオバマ大統領の議会演説をどう扱っているか確かめようと日経朝刊と産経を読んだ。
産経は、就任演説の時ほどきめ細かく報じていなかったが、日経はより突っ込んだ詳細文と識者の評論を載せていたが、有り難かったのは“NIKKEI NET”で英文と日本語翻訳文全文を読むことが出来たことだ。
TVの生中継の時は、オバマ大統領の声に通訳のより大きくてせわしない声が常に重なっていて彼の意思が充分に伝わってこなかったので半ばいらいらしながら視聴していたが、お陰で彼の声をイメージしながら全文を読むことが出来た。
もし興味があったらPCで簡単に検索できるのでお試しあれ。 非常に英語(米語)の勉強になる。
何故オリジナルにこだわるかと問われれば返答に窮するが、敢えて言えば、他人の解釈でなく飽くまでも自己判断で彼の人となりを感じたかったからだ。
もっと言い訳すれば、通訳者がどんな人生経験を持つ人物か皆目解らないのにその人が訳した言葉を単純に信じたくない、と言った気持ちが頭の隅にあるからだ。
奇しくも今日の産経の文化覧にTV番組の「アタック25」の司会でも有名な児玉清氏の記事が掲載されていたが、それによると彼は物心ついた頃から読書を1日も欠かさず、蔵書は1万冊を超えるとの事。 その中でも英米の小説が特にお気に入りで、翻訳ではなく原書で読まれるそうだ。
彼はその理由を「楽しく読みこなすコツは、辞書を引かないこと。日本語訳がはっきりしなくても、言葉のニュアンスから類推して、情景を思い浮かべる。想像力をふくらませる。外国語の本だと、より頭を使うでしょう。面白くて仕方がない」と説明している。
本当にその通りだと思う。 日本の落語を聞いて日本人と同じくらいに理解して笑える外人がいるとしたら、その人は日本の歴史や庶民の暮らしや世相の事件などにうんと詳しい特別な人だろうが、其処まで詳しくなくてもある程度の日本文化の知識を持っている外人なら結構楽しく笑えるだろう。
NIKKEI NETに記載されている英文を読んだ後に日本語訳を読んで、自分の解釈と結構違うな〜と感じた箇所があちこちにあるのに気がつく。 どっちがオバマ氏の心情に近いのかは別として、非常に勉強させられた箇所もある。 訳者も、オバマ大統領の心情を如何にして忠実に日本語で表現しようかと苦心された形跡が随所に見える。
そんな中の一つが“quitters”の日本語訳だ。 前文も重要な意味を持つので一寸長文になるがこの単語に行き着くまでを以下に記したい。
原文;
“And I think about Ty'Sheoma Bethea, the young girl from that school I visited in Dillon, South Carolina - a place where the ceilings leak, the paint peels off the walls, and they have to stop teaching six times a day becasue the train barrels by their classroom. She has been told that her school is hopeless, but the other day after class she went to the public library and typed up a letter to the people sitting in this room. She even asked her principal for the money to buy a stamp. The letter asks us for help, and says, "We are just students trying to become lawyers, doctors, congressmen like yourself and one day president, so we can make a change to not just the state of South Carolina but also the world. We are not quitters."
日経訳;
そして私はかつて訪れたサウスカロライナ州ディロンの学校に通う少女、ティシェーマ・ベシアさんを思う。同校は天井から水が漏れ、壁のペンキははがれ落ち、電車が猛スピードで教室の横を通るため、1日6回も授業を中断しなくてはならない。
人々は彼女に学校は救いようがないと言うが、ある日の放課後、彼女は公共図書館に行き、この議事堂に座る人々にタイプで手紙を打った。手紙を送る切手代は校長先生に頼みに行った。手紙は我々に支援を求め、こう書いてある。「私たちは弁護士や医者、あなた方のような議員、そしていつの日か大統領になろうとしている学生です。私たちはサウスカロライナ州だけでなく、世界を変革することができるのです。我々は簡単にあきらめる人間ではありません
この演説のとき、TVカメラは、傍聴席最前列で聞いていたオバマ大統領夫人、ファーストレディーをアップで捉え、彼女は右側に立ち上がってはにかんでいる少女を優しく抱きしめていたので、その少女が手紙を出した本人と判ったが、目がキラキラと光っていた黒人の少女だった。
訳者がTV中継で少女を見たかどうかは知らないが、訳すのに苦労した単語の一つではなかったかと推測している。 でも、私にはどうしてもすんなりと受け入れられない訳語だ。
Quittersの意味がとても深く感じられるからだ。 だから敢えて訳すのはやめた。




 

今日の日本時間午前11時過ぎからNHKで生中継されたオバマ大統領の連邦議会演説を聴いた。
演説はかれこれ1時間近くも続いただろうか。 その間一度も下を向かなかった。 テーブルの左右にある半透明の原稿ボードにも目を向けなかった。 ということは、演説内容が100%頭の中に正確に修まっていたことになる。 見事と言う外ない。  
日本の歴代首相が所信表明演説を行う時の、殆ど下向をむいたまま原稿を棒読みする姿からは、政治家としての覚悟や責任感が殆んど伝わってこないが、オバマ大統領のこのような演説を聴いていると、本当に頼もしく感じてしまう。
過去8年間に共和党が行った失政に触れた時は流石に共和党員のスタンディングも拍手も無かったが、それ以外は民主党共和党も全員テーマごとに何度も何度も立ち上がって盛大な拍手で彼の演説に賛意を表していた。 日本の議会では有り得ない光景だ。
日本の議会の稚拙さは、野党は全党、何はともあれ与党を「批判すること」が使命、仕事と誤信している所に如実に表れている。 彼らは、首相の所信表明演説の感想をTV局に聞かれて、「中身が無い」とか「美辞麗句の羅列」とか「庶民への迎合」とか決まりきったコメントしか言えない。
今回のオバマ大統領の演説内容に対し、日本の各党はどうコメントするだろうか。 野党はやはり決まりきったコメントを繰り返すだろうか。 私個人の感想では、中低級庶民に対する「リップサービス」に終わってしまいそうな政策が結構織り込まれていたような気がするが。 
その辺りをアメリカのマスコミがどう評するかも興味があるが、演説中も演説後も議会の雰囲気は非常にポジティブで、大統領を讃える熱気が充満していた。 「議会の一致団結」を強く呼びかけられて、みんなその気になっている雰囲気がこちらにも伝わってきた。
また、アメリカがナンバーワンでなければならないというようなニュアンスの発言が何度かあったが、ロシアや中国がこのあたりをどう批評するかも興味がある。 特にロシアは虎視眈々と世界のリーダーにならんと画策しているからだ。
自動車産業については、日本を意識しているのかどうかは不明だが、「アメリカが最初に発明し興した産業だ。 アメリカから絶対無くしてはならない。」と、強調していた。 多分GMもクライスラー社も、何らかの救済措置が取られることになろう。 米国の3大自動車メーカーが消滅すれば、日本のメーカーが世界を制覇することになろうが、オバマ大統領は何としてもそれだけは避けようと決断したようだ。
いずれにしろ、日本はいつまでも「米国がクシャミすれば、日本は大風邪をひく」などといった状態からは一刻も早く脱却すべきで、何度も言うけど、14億の民が暮らす中国と11億の民が暮らすインドとの経済交流を徹底強化すべきだ。 
日本は戦争に負けたからといって、いつまでも欧米諸国に卑屈に媚びへつらうべきではない。 また、一時的に大東亜共栄圏を作り上げたからと言って、これまたいつまでもアジア諸国を侮る事は厳に慎むべきだ。
あ〜、それにしても、いつになったら日本にもオバマ大統領のようなヒーローが出現するのだろうか。
小選挙区制度では100%無理だ。 道州制選挙制度ならリトルオバマ程度の政治家が出現する可能性はあるも知れないが。 いや、2世3世の苦労知らずの議員をぞろぞろ当選させるような今の日本の国民性の下では永久に無理かもしれない。